宝物&その他
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大雄殿(宝 1744号) 釈迦牟尼仏を安置した法堂である。須弥壇の中央に木彫の釈迦牟尼仏像、左右の脇侍に木彫の弥勒菩薩像と羯羅菩薩像、その左右には土偶の迦葉と阿難の二弟子像が安置されている。弥勒菩薩は未来の仏、羯羅菩薩は過去の仏である。仏国寺と言う御仏の国には、現在、過去、未来の三世仏がいらっしゃることを意味している。この5体の仏像は681年に作られたが、1593年壬辰倭乱(文禄の役)で焼失し、1659年新たに作られたと思われる。大雄殿は681年の陰暦4月初8日に落成した。現在の大雄殿は1436年、1470年、1564年に改修され、1765年に再建されたものである。朝鮮後期の寺院建築を代表する仏殿である。 |
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舍利塔(宝 61号) | 舍利塔(宝 61号) 仏国寺の寺蹟記によると、8人の祖師の舎利を光学浮屠があったと記されており、この舎利塔がそれではないかと言う説がある。また、憲康王(在位875〜885年)の死後、王妃が出家して光学あるいは秀円と言う法名を授かったという記録があることから、憲康王妃の浮屠ではないかと言う説もある。塔身の腹部が膨れた円筒形の特異な形をしていることや、全体的な造形、彫刻の手法から見て、新羅様式を継承した高麗初期作品と推定される。高さは2m63、1905年に日本へ持ち去られたが、1933年に返された。 |
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石槽(宝 1523号) 仏国寺石槽は統一新羅時代に製作された物で、水槽の形相が円形である百済時代の石槽とは異なり、統一新羅時代以後からは長方形の水槽になっている。内・外面に彫刻があることと、他の長方形の石槽とは違って角を丸くしたのが独特である。特に内部の底の華麗な蓮花紋彫刻は、統一新羅時代の仏教美術の優れた造形意識と高い芸術水準を表しており、その歴史的、芸術的な価値が認められている。
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石積み(宝 1745号) 仏国寺の架構式石積は大雄殿と極楽殿の南と西に築造されている。上部に欄干が設けられており、南の石積の長さは約92mである。 石積みは石柱の間に自然石を積み上げた構造であり、大雄殿の南側にある石積みの矩形石柱の下面に見えるクレンイ技法と泛影楼を支える須弥山の形をした石柱は断然と目立つ部分である。 壮麗な石積という評価を得ており、8世紀統一新羅時代の土木,建築。石造技術の高いレベルを示す貴重な文化遺産である |
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靈山会上図, 四天王壁画(宝 1797号) 「仏国寺、 霊山会上図及び四天王壁画」は1769年に英祖(ヨンジョ)の娘である和緩翁主(ファウァンオンジュ)と尚宮金氏などが施主し、制作した仏画である。 霊山会上図と四天王壁画2点の四天王壁画という独特な構成である。 掛ける絵と壁画が一つのセットという構成はどこにもない独特なもので、朝鮮王朝後期の仏画造成の一面をよく示している作品である。
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三蔵菩薩図(宝 1933号) この仏国寺の三蔵菩薩図は1739年に密機(ミルギ)、彩元(チェウォン)、瑞澄(ソジン)などが、慶州(キョンジュ)、巨洞寺(コドンサ)、五周庵(オジュアム)で作られ、仏影寺(プルヨンサ)に奉安されたという確かな記録が残っているため、18世紀前半期、 三蔵菩薩図の図像および画風研究に重要な資料である。 三尊が同一線上に水平で並べられている構図は視覚的に安定を謳っており、人物の細かい描写力も繊細で趣がある。明度は低く、彩度が高い赤、緑、黄、肉色系統を鋳造の色に使い、宗教画が目指す崇高さと荘厳さがよく表れている。迷いない筆の使いが流麗で生き生きしている。 |